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事例ワークシート 事例62

A 課題の整理Ⅰ 援助者が感じている課題

① 事例にあげた課題に対して、あなた自身が困っていること、負担に感じていること等を具体的にみていきましょう。

アルツハイマー型認知症が重度化した妻と、その妻をケアしてきた夫であるAさんにも血管性認知症が発病してしまった。介護保険でデイサービスやショートステイ、ホームヘルパーなど在宅サービスは受けているが、夫婦だけになった深夜などに妻が混乱すると、Aさんは身体的虐待をしてしまう。
夫婦ともに認知症であるこの二人をどうやって支えるか。

ひもとき?
昼間二人だけになったときには、イライラしたり妻を殴ったりすることはないのですか?また、具体的にどのような時間帯や妻の行動、態度のときに身体的虐待に至っているのでしょうか?
ホームヘルパーや妻のケアマネジャーからの情報はないでしょうか?
援助者の視点

昼間よりも夕刻から夜にかけて、妻が混乱しやすい時間帯にAさんがイライラします。具体的には午後7時がピークです。不適切行為に至る際に妻は、Aさんにつかみかかり、暴言を吐くなどの行為が見られます。そうすると今度はAさんのほうが混乱してしまいます。
この情報は当事者である夫婦からも、サービスを提供しているホームヘルパーやケアマネジャーからも「助けてほしい」という形で私に情報提供がありました。
昼間にはそのような行為が少ないことを考えると、妻の興奮や混乱が起きにくい時間帯にはAさんも混乱しないことが多いので、その時間帯からケアを手厚くすることで、もう少し妻が穏やかになるかもしれません。

ひもとき?
妻は夜間しっかり眠れているのでしょうか?
援助者の視点

この妻の興奮には、「せん妄」による昼夜リズムの乱れも加わっています。夜は何度も起きていて、朝から夕刻までぼんやりと過ごし、その後、夕刻から混乱が始まります。
事例報告者である私たちがもう少し医療機関として妻の睡眠覚醒のリズムを整えることができ、昼間はしっかりと活動して、夕刻からの混乱がないようにしてあげられれば、妻はもとよりAさんも刺激せずに済むと思いました。

ひもとき?
妻に対するAさんの介護負担は、夜間はどのようなことが考えられるでしょうか?
援助者の視点

「妻に対するAさんの介護負担」という質問だと理解して回答します。
①夜間、頻回に覚醒することで、Aさんが十分に眠れないことがあります。
②Aさん自身もHDS-R18点であるため、夜に混乱し始めた妻にどのように対応すればよいか、具体的なケアの仕方が分からなくなるときがあります。

B 課題の整理 Ⅱ 援助者が想定する対応・方針

② あなたは、この方に「どんな姿」や「状態」になってほしいのですか。

妻には、安心してケアが受けられる環境を提供したい。心の傷にも対応したい。
Aさんには、これまで熱心な介護者であったにもかかわらず、このような不適切行為を繰り返していることに対して、その行為を止めたい。妻はもちろん、Aさんの心の傷に対してもケアしたい。

③ そのために、当面どんな取り組みをしたいと考えていますか(考えましたか)。

妻の被害を見極め、命や重篤な被害につながる際には妻の保護を優先する。Aさんのこれまでの努力を認めつつ、虐待行為に至らないようにするために医療としてのかかわりをする。介護職やケアマネジャー、地域包括支援センターと協力して、夫婦を支える支援体制をつくるための担当者会議、地域ケア会議を設定する。

ひもとき?
妻の介護支援をしているサービス事業者やケアマネジャーは、このことを正しく理解していますか?Aさんのこれまでの努力に対して敬意を払いながらの支援や態度の統一はなされているでしょうか?
援助者の視点

当初、ケアマネジャーはこの夫婦に対して頻回に会っていたわけではありませんでした。ホームヘルパーからの連絡で気づき、対応に困って私のクリニックに相談に来ました。私が地域の保健所のメンタルヘルス相談の嘱託医を兼ねているために、ケアマネジャーを中心として話し合い、地域包括支援センターにも協力を依頼して地域での見守りが始まりました。
被害者である妻とともに、今回は「加害者」として浮かび上がっているAさんも、自身の認知症と向き合いつつ介護者になっています。つまり、このケースは夫婦ともに被害者でもあるわけで、Aさんのこれまでの努力への「ねぎらい」や「評価」なくしては、支援ができないと思います。

ひもとき?
虐待行為に至らないようにするための医療としてのかかわりとはどのようなかかわりだと考えますか?
援助者の視点

このような介護状況では、妻の昼夜リズムを改善すること、そして夕刻から始まる「せん妄」をどのようにコントロールできるかが、最優先課題だと思います。そのためには薬物療法による(決して過剰鎮静にならないような配慮を持った)妻の活動性、興奮の改善が必要です。
一方、介護者であるAさんは、認知症とともにあるとはいえ、現在もHDS-R18点のレベルですから、彼の辛さ、介護の困難さに対して「心の傷つき」を支援することが求められます。ケースワークによる社会的支援とともに、介護者としてのAさんへの傾聴や支持的な心のサポートが必要だと思います。
さらに、糖尿の悪化がAさんの感情の易変につながりますので、内科的にAさんの血糖値のコントロールを安定することも大切な医療としてのかかわりです。

C 本人の状態や状況を事実に基づいて確認してみよう

④ 困っている場面で、本人が口にする言葉、表情やしぐさ等を含めた行動や様子等を事実に基づいてみていきましょう。

妻からは暴力に対する恐怖や怒りなど、一切の言語的メッセージが出ない。しかしAさんと二人だけの場面になると反対方向を向くといった逃避行動は見られる。
Aさんからは、
 「自分がイライラすると(妻を)殴るのを止められません。」
 「認知症であると診断されて死にたくなりました。」
 「自分が何をしでかすか分からないのでくくりつけてください。」
 「これまで妻を支えたいと思っていたのに、自分がやっていることが理解できません。」

ひもとき?
Aさんがイライラしているときの言葉や行動を具体的に教えてください。
援助者の視点

(妻に対して)「お前なんか死んでしまえ。」
        「この役立たず。」
        「いい加減に寝ろよ。」

ひもとき?
Aさんが、イライラすることにより、体調を崩すというようなことは考えられないでしょうか?
援助者の視点

Aさんは介護者としてこれまで熱心に介護してきた人です。しかし、自身にも認知症が始まり、感情のコントロールもしにくくなってきました。それでもなお、妻の介護をしようとして体調はいつも不良です。
たとえば血圧の変動が激しく、食事が不十分なために胃の不快感があります。腰痛と後頸部の慢性痛もあります。

ひもとき?
Aさんは向精神薬などの内服薬で気分の安定がはかれるような病状ではないのでしょうか?
援助者の視点

ごもっともな質問かと思います。私たちもある程度の服薬(安定剤)を使ってみました。
しかし、事前に予想したことなのですが、やはりAさんに投与した(軽い)安定剤は、かえって認知症によって脳に器質的な変化を来し始めたAさんを余計に不安にしてしまい、投薬は中止しました。
この質問で、もう少し医療としても、他の系統の薬をAさんに服薬してもらおうかと思うことができました。一部の抗けいれん薬など、まだAさんには試してもらっていない薬があります。彼の人権面への配慮を怠らず、できるだけ少量の服薬から始めて、彼が介護者として負担を軽減できるようにサポートしてあげたいと思いました。

D 課題の背景や原因等の整理

⑤ 本人にとっての行動や言葉の意味を理解するために、思考展開シートを使って、課題の背景や原因を考えてみましょう。

思考展開シート

妻の意思確認がしにくく、BPSDが出たときにそのメッセージをAさんが受け止められない。血管性認知症の焦燥感や感情易変性のために、自分が妻を殴るのを止めたくても止められない。虐待行為をしているときの記憶がないことが多い。
Aさんの認知症による変化が考えられる。加えて周囲からの孤立、親族のなさなど社会的背景も考えられる。

E 事例に書いた課題を本人の視点に置き換えて考えてみよう

ここで、この事例を本人の立場から、もう一度考えてみましょう。

⑥ 本人の言葉や様子から、本人が困って(悩んで)いること、求めていることは、どんなことだと思いますか?

・妻は、「痛い。」「辛い。」「なぜ殴られるのか分からない。」
・Aさんは、「自分がコントロールできない。」
       「なぜ一度殴り始めると止められなくなるのだろう。」
       「誰か自分の行為を止めてほしい。」

ひもとき?
「自分がコントロールできない。~自分の行為を止めてほしい。」と訴えていることは、「話を聞いてほしい。自分の気持ちを心から分かってほしい。」と訴えていることも含まれているとは考えられないでしょうか?
援助者の視点

そのとおりだと思います。この言葉はAさんの心の叫びです。自分が病気によって妻の介護をすることができなくなる悲しみ、妻が混乱したときに自分の感情をコントロールできない苦しみ、それでも介護を続けていかねばならない立場に対する不安と恐れ、話を聞き(傾聴)、彼の心に寄り添いながら具体的な支援策を考えていくことが求められると思います。

F 課題解決に向けた 新たなアイディア

⑦ あなたが、このワークシートを通じて思いついたケアプランなど、新しいアイディアを考えてみましょう。

・夫婦ともに認知症であり、特に妻は現実検討能力が極端に低下している。これまで熱心な介護者であったAさんも血管性認知症になっていて、感情がうまくコントロールできない。家族の支援を受けることもできない。このことから在宅での支援には限界がある。
・Aさんに対する適切な医療(虐待の記憶がないことなどを精査)とケアの協力があれば、もっと夫婦を支えられる。
・妻の身柄の安全確保、心の傷への対応、Aさんの行為を抑止するためには在宅ケア以外の方法をケアマネジャー、地域包括支援センターや福祉事務所とも相談して、措置入所も視野に入れたサポート体制が必要であると考えられる。
同時にAさんへの医療的かかわりとして、BPSDの改善、とくに焦燥感の改善が必要である。精神療法的アプローチとして、Aさんを「善意の加害者」と理解して加害者になってしまった彼の精神面へのケアが必要である。

ひもとき?
行政と共にチームとしてかかわることが必要な事例であると思います。妻に対して、緊急ショートステイなどの利用とならないように配慮が必要ではないかと思います。Aさんがこれからどのような生活をしたいのかを明確にしなければならないと考えますが、どのように考えていますか?
援助者の視点

本来なら夫婦がそれぞれにどのような要望を持っているか、個別に確認するとともに、妻の兄の意見も聞きたいところですが、妻からは具体的な言語表現を得ることができません。兄の所在も分かりません。
ゆえに、ご指摘のようにAさんがこれからの生活をどのように過ごしたいかというテーマを中心に支援を進めていきました。しかし、このようなケースの場合には、たとえAさんがこの先にもさまざまな支援を受けながら自宅で夫婦の生活を続けたいと思っても、Aさんの現実検討能力が著しく低下する、あるいはAさんの感情抑制がきかないほどに認知症が進行したと考えられる時点で、在宅ケアの見極めをしなければなりません。実際のところ、行政も含めた支援チームで見守りを続けるとしても、もし、妻の被害が看過できない時点になれば当然ながら緊急ショートステイ、あるいは措置による入所を視野に入れた体制の再構築が必要になります。
現在、法律家も含めチームを作っています。ケアマネジャーには今でも中心になってもらって担当者会議を進めていますが、「虐待」事例としての側面も忘れないようにしています。つまり、この夫婦へのサポートは、ケア、虐待への対応を含めたソーシャルサポート、医療が協力し続けながら見守る必要があると考えています。
この質問で、ともすれば妻と介護者の心身面、介護面に注意が集中してしまいやすい事例に、社会的サポートの必要性があることを改めて考え直すことができました。
自分たちがかかわっていると、「別の見方」ができなくなっているケースがたくさんあります。いつものチームの意見だけではなく、このように複合的な課題を内包しているケースに対して、率直なアドバイスが得られることの大切さを改めて実感しました。

ひもときアドバイス

在宅で高齢者だけの世帯でどちらかが介護をしなければならない現実だけでも、とても大変であるのに、まして認知症の妻を介護している夫までもが認知症の診断を受けて混乱している状況、このようなケースはこれから増えてくるのではないかと思います。
 老老介護と共に認知症の妻の介護、そして認知症と診断を受けたAさんが自身を見失いそうな状況と向かい合いながら自らを責め、自分が認知症であることで恐怖や不安感を抱えていることが生活を脅かす引き金となっていると考えます。
 このことの現実を本人が主治医へ話せたこと、これは主治医との信頼関係がしっかり築けているからだと思います。また、まさに助けてほしいと願うSOSであったと思います。そのことに気づき、社会的サポート体制を整えて支援することはとても重要なことだと考えます。
 妻に暴力をふるってしまう認知症のAさん自身が、これから具体的にどのような生活を望んでいるか妻のことをどう思っているかをその都度確認していく必要があると思います。
 緊急ショートステイやどちらかが施設入居や入院となったとしても、夫婦二人が最後まで大切にしてきたことを、これからかかわることになるスタッフに伝えていけると良いと考えます。そのためにサポート体制の姿勢を統一し、尊厳をもった姿勢でAさん夫婦に接し支援していかなければならないことに気づく貴重な事例だったと思います。

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