・高次脳機能障害・注意障害・認知力低下などにより、現状を受け入れることが困難。
・昼夜逆転のため、睡眠剤にて調整を試みるも改善せず。
・前立腺肥大・便秘もあり尿便意を頻繁にもよおす。
・左不全麻痺・全身の筋力低下・浮腫・しびれ・水頭症などにより、バランスが悪く転倒のリスクが高い。
薬の調整は専門医ですか?老人保健施設の主治医ですか?
老健の主治医が行っていた。薬以外のアプローチも同時に行い、改善困難であれば専門医による調整を依頼することも考えられていた。徐々に改善が見られ、入居後3カ月半で眠剤打ち切りとなる。
(2)身体的痛み、便秘・不眠・空腹等による苦痛の影響は考えられますか?
・尿便意を頻繁にもよおし、立ち上がり~歩き始めに転倒するため、常時見守りが必要。
・昼夜逆転のため、夜間ベッドからの転落の危険性があり、センサーを使用。たびたびセンサー反応あり。
・夜間空腹の訴えが多く、「空腹で眠れない。」と毎晩何度も言う。
・コーヒーが好きで一日に何杯も飲むため、頻尿や不眠の原因となっている可能性がある。
本人の歩行の状態はどのような状態ですか?
入居当初は眠剤の影響もあり、安定度にムラがあった。
手すりなどにつかまらなければ、立ち上がりそのままふらつくこともあり。独歩では2~3歩で転倒。伝い歩きでも5歩ぐらいで転倒。
小柄なスタッフでは支えきれない状態であった。
現在は伝い歩き、杖歩行では2~30mは軽介助で可能。ベッド周囲はフリーでも転倒なく歩ける。
夜間の空腹などによる不眠の訴え時には、どのような対応をしていますか?
在宅時の摂食状況について本人や家族に聞いたところ、大食漢であり、昼夜を問わず食べたいときに自分で作ってでも食べていた、とのことであった。体型も肥満気味で、入居時より10kg位体重が多かった、とのことであった。それらの情報も加味し、夜食(おにぎり)を提供したり、家族にお菓子を用意してもらったりしていたが、食べても満腹感が得られず「食べていない。」と言うことも多く、かえって不満が募ることや、体重が増えリハビリに支障が出始め、提供時間や量を管理栄養士も交え検討・調整していった。
徐々に良眠できるようになり、入居後3カ月半で眠剤中止と共に、夜食も中止とした。
(3)悲しみ・怒り・寂しさ等の精神的苦痛、また本人の性格等の影響は考えられますか?
・病院を退院する際、別の病院に移り病状がもっと改善されるか、自宅に帰れるかどちらかだと思っていたため、特別な治療を施すわけではない老人保健施設に入居したことに対して納得がいかず、不満や不信感がある。
・体が思うように動かないいら立ちがある。
・自分自身のことが人に決められたり、思いどおりにならなかったりすることに対し、ストレスが強い。
このような状態については、左不全麻痺の影響が考えられますか?
交通事故による受傷後一旦回復。転倒し、リハビリを受け、ADLも一時ほぼ自立となったが、その後ふらつきや行動障害の出現あり。シャント不全とのことで調整したが、依然としてふらつきや行動障害あり。本人は転倒後、ふらつきや行動障害が出現してからの記憶がほとんどないため、なぜ体が動かないのか、理解できない様子であった。
本人が自分で考えて決められる事柄にはどんなものがありますか?
日常生活においては、起きる、寝る、トイレに行くなどの簡単な事柄は、なるべく本人の意に沿うよう対応している。また、孫を探し歩いたり、家に電話をするなどの希望に対しても対応できる限りは対応したが、人員の都合ですぐに対応できないこともあった。
今後の生活については、本人の意向が全く反映されず、家族の意向との調整が困難であった。意思決定については、妥当性を欠く場面も多くあったが、施設のやり方や家族の事情を押しつけ説得しようとすることもたびたびあったと思われる。
認知症状の改善(HDS-R測定不能→18点)に伴い、意思決定の妥当性も上がり、話し合いもできるようになってきている。
(4)音・光・味・におい・寒暖等感覚的な苦痛を与える刺激の影響は考えられますか?
・自宅では一人で部屋を暗くして寝ていたが、多床室のため、暗く静かな環境で眠ることができない。電気がついていたり物音がしたりすると目が覚めてしまう。
・寒がりであるが、布団や暖房だけではなかなか足が温まらない。
・トイレの脇のベッドであり、排泄の音や臭いがすることがある。
・帰宅要求のあるショートステイの利用者の泣き声が孫の泣き声に思えてしまう。
上記の状態に対して、何かできる対策にはどのようなものがあると考えていますか?
寒さ対策については、毛布、レッグウォーマーの使用、夜間入浴の試行をした。
ショートステイの利用者の泣き声については、説明や実際見てもらい、それでも心配であれば、家に電話して孫と話をしてもらったりした。
部屋の明かり、物音、臭いについては個室も検討し、試用したこともあったが、日中の活動量を上げて熟睡につなげたり、同室者への対応(使用する電気や、排泄介助のタイミング、消臭剤の使用)を検討したりすることで緩和されつつある。
(5)家族・介護者など周囲からの過剰、あるいは少なすぎる関わりの影響は考えられますか?
・家族の面会が、本人が願っているよりは少なく、時間も短い。病院に入院している間は仕方がないと思っていたが、生活の場に家族がいないことが受け入れられない。
・転倒などのリスクが高く、常に見守りやつきそいが要るが、そのことによって見張られていたり自由を妨げられたりするように感じる。
・一人になって熟考したいことがあるが、常に誰かの目があり落ち着かない。
家族の面会のときに、本人、家族、それぞれどんな様子ですか?
本人、孫は楽しげであるが、妻と長男は忙しそうであり、孫を連れて来ないときは早く帰ることが多い。
「生活の場に家族がいない」という理解について、本人はいつもそのような理解をしているのでしょうか?
「入院している間は、家族と離れていても仕方がないと思っていた。」というのは本人の言葉。「生活の場」については、本人が施設に入居していることは理解している。家族は自宅にいることについては分かっているときもあるが、施設から学校や仕事に通っていると思っているときもある。
スタッフが「生活リハビリ」などと説明することがあり、「生活の場とは?」と考えたことがあったようで、冒頭の言葉が出た。寂しい気持ちが根底にあると思われる。
本人が一人になれる「場」の提供などについて可能な方法は何か考えられますか?
廊下つきあたりのソファに移ったときには、1人になりたいときと判断し、車椅子のブレーキの確認と、本人に必ず車椅子を使用する旨説明し、離れるようにしている。
リスクが高かったころは、本人の死角から近位で見守りをしていたが、現在は遠位見守りのみとなっている。
(6)障害程度・能力の発揮に対して、住まい・器具・物品等物的環境による影響は考えられますか?
・ベッドを使用することで移行動作などはスムーズに行いやすいが、自宅では畳の間に布団を敷いて寝ていたため、ベッドの使用に不慣れで昇降動作時に混乱することがある。
・車椅子の操作が分からず、思ったように動かせない。
・居室スペースが落ち着ける空間ではない。
・施錠機能のあるフロアのためか、日中の開放してある時間でさえなんとなく閉塞感がある。
車椅子の操作で、本人が覚えられないことはどんなことですか?
車椅子のブレーキとフットレストの操作と駆動するのに安全な姿勢。ブレーキについては早々に操作しやすい型の物に変えたため、操作方法は分かるようになったが、掛け忘れはある。繰り返しの声掛けや貼り紙で実施率は上がってきているが、見守りや確認は欠かせない。フットレストについては、下肢筋力が回復し、両下肢で駆動するようになってから、取り外した。
姿勢については現在でも声掛けをし、座り直しを時々している。
居室スペースが落ち着かないことについて、何か原因や対策が考えられませんか?
当施設は、クローゼットにより間仕切りがされているため、本人より、「病院のようなカーテンがない。」との訴えあり。また、リスクに対応して取り付けられたクッション材や布があり合わせで雑然としていたため、クッション材や布の色合いを統一した。家族に写真や孫の手作りの物を持ってきてもらい、飾りつけもした。
在室時には、訪室する用事はまとめて行ったり、居室の扉はなるべく閉めておいたりするなどして、プライベート空間としての尊重を心掛けるようにしている。
(7)要望・障害程度・能力の発揮と、アクティビティー(活動)とのズレによる影響は考えられますか?
・歩行時のふらつきと介護拒否により、転倒のリスクが高く、歩きたいのに車椅子を使用している。
・車椅子の操作が適切に行えず、自操できない。
・一人でできる活動がほとんど見出だされておらず、スタッフが付いていないとできることが少ない。
・座位でいることが多い。
・知的活動性や好奇心を満たすアクティビティーの提供が難しい。
何かの役割やお手伝いなど、本人が役に立っているということが実感できる事柄は考えられませんか?
本人が趣味としていた姓名判断や手相見でスタッフや利用者の相談役のようなことをしてもらったり、習字の先生であったことを活かし、皆で読めるような「いろは歌」などを書いてもらったりしたが、スタッフが付いていないとできないことが多かった。現在では、日付や食事の献立を発表してもらったりもしている。
(8)生活歴・価値観等に基づいた暮らし方と、現状とのズレによる影響は考えられますか?
・好奇心旺盛であるが、行動を制止されることが多い。
・知的なことに関心が高いが、要求が満たされない。
・人から頼られたり、注目や尊敬を集めたりしたいが、人の世話にならなくてはいけない現状がある。
・自分のペースで気ままに生活していたが、集団生活での決められた日課では制約も多く窮屈である。
行動を制止されるのは、具体的にはどんな事柄ですか?
壁に貼られた写真やカレンダーなど、目に映るものを見に行こうと立ち上がり、スタッフに声を掛けられる。スタッフ数や状況により、抱えて共に見に行くこともあれば、車椅子に座ってもらい押して見に行ったり、掲示物を外して本人の所に持って行ったりした。時には、少し待ってもらうこともあった
現在は、車椅子を自操できるようになり、そのような場面は減ってきている。
具体的には知的要求のどんなことが満たされると良いのでしょうか?
特に好きな英語・歴史・経済などの分野の話がしたいと思われる。(昔読んでいた本を取りに、家族と自宅へ行ってもらったが、本人が「要らない。」と言ったとのことであった。家族に数冊持って来てもらったが、読まなかった。)
制約のある集団生活について、本人はどの程度理解ができているのでしょうか?
ある程度は仕方ないとの思いはあるようだが、特に食事については食べたいものを食べたいときに食べていたことから、要求がいろいろあった。
ほかには、何か調べたいことを思い立つとすぐに調べずにはいられないこともあった。スタッフの説明自体は理解できるため、我慢することも多くあり、窮屈に感じていると思われる。
生活のペースが安定し、日課がある程度分かるようになると、集団生活に合わせつつ、自分なりに考えて行動することが多くなってきた。
集団生活での決められた日課というのは「誰のため」に決められているのでしょうか?
決められた日課の中でも柔軟に対応できるところはしていたが、そのことがかえって混乱を招くこともあった。(昨日はできたのに、今日はダメと言われたなど)
本人のこれまでの暮らしの情報を得て、施設としてできる範囲ですり合わせをし、対応が統一するよう心がけてはいたが、「誰のための日課か」と問われると答えに窮するのも事実である。